幕張新都心-人による、人のための街-
JR京葉線海浜幕張駅を拠点とする幕張新都心は、幕張メッセや千葉マリンスタジアムなどの大型施設はじめ宿泊施設や商業施設、大手企業などが建ち並ぶ国際都市として、今も尚発展を続けているエリアだ。高層ビル郡がつくりだす近未来的な景観の美しさに、ドラマや映画のロケ地として使われることも多い。
かつて浅瀬の干潟だったこの地に、稲毛・検見川・幕張あわせて人口24万人の海浜ニュータウン建設が計画されたのは昭和42年のこと。昭和48年には海浜ニュータウン幕張地区の埋め立てが着工し、その後、東京における業務一極集中化対策として、住宅のみならず業務機能をもつ新都心を建設することを決定したという。この構想が現在の幕張新都心の原型になっていることはもちろんだが、もうひとつ、新都心形成にあたり重要視されたことがある。それが千葉圏内における進学率の上昇と、教育文化機能を充実させる「学園のまち」構想である。
昭和55年に幕張地区埋め立て工事が完了してから昭和62年の間に、県立幕張東・西・北高等学校の3校(後に県立幕張総合高等学校として統合)、県立衛生短期大学、私立昭和学院秀英高等学校、私立渋谷教育学園幕張高等学校、県立若葉看護高等学校(後に県立幕張総合高等学校に統合)、放送大学、私立神田外語大学など、大学3校と高校6校が開校。また国際都市を見据えた対策として、海外職業訓練協力センターなど6つの文化・教育施設も整備された。これら全てが、幕張新都心の文教地区を形成したことは言うまでもない。
そしてこの間、同時に交通網も整備された。昭和53年、新東京国際空港(成田)の開港にはじまり、昭和57年には東関東自動車道(宮野木~市川)が開通、湾岸千葉ICが設置された。昭和61年には海浜幕張駅が開設され、JR京葉線(千葉みなと~西船橋)が開業。昭和63年にはJR京葉線(蘇我~新木場)も開通した(平成2年に蘇莪~東京間の全線開業)。
こうして土台が整った幕張新都心には、翌平成元年より様々な施設がオープンする。その先陣を切ったのが日本コンベンションセンター、つまり現在の幕張メッセである。
約21万平方メートルにも及ぶ広大な敷地に国際展示場・国際会議場・幕張イベントホールの3施設を備える世界標準の複合コンベンション施設は、「東京モーターショー」や「東京ゲームショウ」、「サマーソニック」などに代表される大型イベントの会場として、年間を通じて多くの人が訪れている。今や千葉の“顔”となった球団「千葉ロッテマリーンズ」の本拠地、千葉マリンスタジアムの存在も実に大きい。
東京ガス、日本IBM、シャープ、NTT、イオンなど、日本を代表する大企業が続々オフィスを構え、現在の幕張新都心の象徴とも言えるあの近代的な景観を形作っていることも、この街の発展を語る上で不可欠な要素だ。
人が働き、学び、住む環境づくりを、綿密な計画のもとに着々と具現化してきた幕張新都心。成熟の時期は、まだまだこれからだ。大きな可能性を秘めた地への期待は、膨らむばかりである。
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